先日、3歳の女の子を自宅に放置して死亡させた若いお母さんの事件がありました。
私にご相談くださる方は、深刻なご相談の方もいらっしゃるので、こうした事件があるたびに、書けないほどいろいろな思いがよぎります。
今回、事件になってしまった女性と同じような境遇の方からの恋愛相談は、数は多くないもののゼロではありません。
この女性もまた被害者であった過去が週刊文春に掲載されています。
この記事を読むと、この女性が「愛」を求め続けていた様子が伝わります。
虐待と無縁で生きた幸運な方であれば、
どうしてかつて虐待をした母親ともう一度接点を持っているのか?
どうして虐待された過去があるのに、この女性もまた虐待をしてしまったのか?
が、理解しづらいと思います。
動物も含めて、人は温もりがないと死んでしまう生き物だそうです。
人としての教育の前に、人と人との接触を介して生命力を強化していくことが、人として生きるために大切な準備となります。
最低限のスキンシップと最低限の環境があれば、今なら生命維持もできることでしょう。
でも、心は何かが欠けたままなんですよね。
この女性も、心に欠けたものを追い求めた人間でした。
心のこの部分に当てはめたいものがある。
目の前に、その欠けたものを持っている人(お母さん)がいる。
お母さんに手を伸ばして、その欠けた部分を埋めて欲しい。
ただそれだけの望みを、生まれてから24年持ち続けていたんです。
誰もが簡単に愛を得ているのに、
誰もが幸せそうな家庭に育ったのに。
誰もが誰かと幸せそうに笑い合えているのに。
どうして私だけ?
なぜ手に入らないの?
なぜ私の周りには、私を愛してくれる人がいないの?
そんな疑問を抱きながら、でもきっと私は幸せになる!と
今までがんばってきたんだろうなと感じました。
頑張り屋さんで、でも不器用な子だったんだな。
誰か大人が教えてあげれればよかった・・・と思いました。
残念ながら、自分が母親になってしまったら、自分の中のアダルトチルドレンには早めに大人になってもらわなくてはなりません。
今まさにリアルタイムの中に生きる子どものために責任を持つ決意を決めなくてはなりません。
こうした女性こそ、パートナーになる男性選びは本当は慎重でなくてはなりません。
男性を繋ぎ止めるために、妊娠を手段にするのもいけません。
生まれてきた子はまたカルマに苦しみます。
あなたもカルマに苦しみます。
本当に幸せな結婚や恋愛ができるように、時にうるさいことも言ってしまうかもしれませんが、私に話してくださった方が一人でも幸せになれますように。